【レナードの朝】の作品情報(スタッフ・キャストなど)
レナードの朝は1990年のアメリカ映画です。
原作は世界的なベストセラーになっていた同名の医療ノンフィクションで、映画化したものになります。
監督したのはペニー・マーシャル、主演はロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズが務めました。
音楽を担当したのは名作曲家として知られるランディ・ニューマンです。
121分の映画は大きな成功をおさめて、日本では1991年に公開されます。
医療系の映画としてはとても有名な作品です。
あらすじ解説
人付き合いが苦手なマルコムセイヤー医師はアメリカ・ブロンクスで神経病の患者の病院に赴任することになります。
臨床の経験に乏しいセイヤー医師にとって患者との付き合いは不慣れなものです。
持ち前の誠実な人柄で真摯に仕事に取り組みます。
ある日、研究をすすめる傍ら、病人たちに反射が見られることを発見。
ボール運動や音楽療法を試す中で、病院たちの正気を取り戻すことに成功しました。
さらなる回復を目指す中で、セイヤー医師はパーキンソン病に用いられる新薬を使ってみることにします。
このクスリはまだ認可前で使うことに躊躇しますが、もっとも重症のレナードに投薬してみると、レナードは自力でベッドから起き上がり、コミュニケーションを取ることにも成功します。
30年ぶりに意識を取り戻したレナードはセイヤー医師に連れられて街に出ます。
30年間意識が眠っていた病人にとって街の景色はすべてが新鮮です。
ここで医師とレナードが会話をすることで、二人にはいつしか友情が育まれていました。
レナードの成功を踏まえて、医師はほかの病院スタッフも説得し、他の病人たちにも同様の薬を投薬します。
そうすると、全ての患者たちの意識が戻り、患者たちは生きる幸せを取り戻します。
一方、その頃レナードは見舞いにやってきた女性に出会い、彼女に恋をします。
女性に会うためにセイヤーに外出許可を頼みますが、薬の経過を観察したい他の医師によってこれを拒絶されてしまうのです。
セイヤーはこの決定に激怒、レナードも怒り狂います。
そしてこの騒動がきっかけになって、レナードの病状は大きく悪化することに、だんだんと凶暴になっていく彼にショックを受けます。
レナードの病状が悪化していくのと同じように、他の患者たちも病状に変化が生じていました。
患者たちは状態が改善することもありましたが、全ての患者たちは同じ症状に戻ってしまいます。
無力を感じるセイヤーでしたが、彼を支えてくれた看護師のエレノアによって彼は救われます。
セイヤーはその後も研究を続けましたが、薬によって症状が劇的に回復することは起こらず、いまでも研究を続けているという説明がされて、この映画はエンディングを迎えます。
みどころのポイント
「レナードの朝」は医療施設を舞台にしたドラマです。
原作が世界中で読まれたベストセラーだったため、大きな期待がされた映画でしたが、静かな演出と感動的なストーリーで大きな成功を収めました。
元はノンフィクションでしたが、映画化するにあたって原作から変更があり、映画は医療フィクション映画に変わっています。
原作では20名の患者全ての描写がありました。
ただ映画ではレナードを中心とするストーリーに改変が行われています。
また、患者の反応についても映画化するときに、よりドラマチックな改変も行われているようです。
映画は多くの映画賞にノミネートされ、とくにその年のアカデミー賞に複数ノミネートされました。
主演を務めたロバート・デ・ニーロは世界一の演技派として知られますが、主演男優賞の候補になっています。
批評家からの絶賛も多く、日本でも1991年に公開された映画の中で高い評価を得ました。
この作品の大きな魅力はレナードとセイヤーの友情です。
セイヤー医師は懸命に患者に接するなかで、ついに意識を取り戻すことに成功しますが、そこで行われる交流がとても感動的です。
レナードは30年眠っていたにも関わらず、とても理知的でセイヤー医師のよきパートナーにもなります。
二人の友情がゆっくりと育まれていく姿が描写されることで、映画のラストにある二人の別れはとても切ないものになっています。
また、この映画はある意味で奇跡を扱っている作品です。
数十年間眠り続けている患者が一瞬でも意識を取り戻したこと、それ自体が奇跡です。
不治の病が突然完治したり、死んだと思われた人間が蘇ったり、医療を扱うドラマには人体の神秘を描いた作品が多くありますが、これもそれに属する映画といえます。
長い間眠っている患者が目覚めるとどうなるのか、それを描いたこの作品はときにユーモラスであり、ときに感動的です。
昏睡状態の人間を描くことで、私たちは普通に生活していることがどんなにありがたいことなのか理解するでしょう。
また、ただ眠っているだけに見える神経病の患者たちは、実は目を閉じてはいるけども、そこで何かを考えたり感じたりしているかもしれない、ということも思わされます。
見た後にジーンとしたものが残り、誰かと感想を話し合いたい映画です。