【JFK】の作品情報(スタッフ・キャストなど)
JFKは1991年にアメリカで制作公開された映画です。
監督は「ウォール街」などの問題作を世に送り出し賞も度々獲得されているオリバー・ストーンさん。
この作品でも監督賞を受賞しています。
主演は「アンタッチャブル」「ロビン・フッド」等の作品でも著名なケビン・コスナーさんです。
この作品は第64回アカデミー賞で、撮影賞と編集賞を獲得しました。
日本でも1992年に公開され話題となりました。
上映時間は189分と長編です。
あらすじ解説
現在でも色々と謎の多いケネディ大統領暗殺事件について取り扱っています。
暗殺について真相を明らかにしたいと執念を燃やす地方検事であるジム・ギャリソン(ケビン・コスナー)を中心にして物語は進んでいきます。
ケネディ大統領が暗殺されてから2時間あまりでオズワルドが犯人として発表され、オズワルドは捕まって護送されるが、オズワルドは護送中に撃たれて死亡してしまいます。
この不自然極まりなく感じる一連の流れをギャリソンは疑問に思い、調査を始めることにします。
まず、匿名の電話でオズワルドの教官を訊問することにしますが、すぐに釈放しなければならなくなります。
一方、ケネディ大統領暗殺によってジョンソンさんが大統領に就任することになりました。
ジョンソン大統領は、暗殺事件を解明するためにウォーレン委員会を設置します。
ウォーレンさんは当時の最高裁判官です。
しかし、このウォーレンさんの調査委員会もオズワルドの単独行動であるとの見解を発表します。
暗殺される前にケネディ大統領は当時泥沼状態であったヴェトナム戦争から撤退すべきとの見解を持ち合わせており、また、この見解を推し進めるために撤退の考えを発表しようとしていたと考えられています。
暗殺のために撤退は実行に移されず益々戦争は泥沼状態に陥っていました。
改めて暗殺に疑念を抱いていたギャリソンは目撃者の証言や関係者への聞き込みを再開し、元FBIのバニスターやフェリーらがケネディ暗殺を図ったこと、そして首謀者が実業家のクレー・ショーであることを突き止めます。
しかし、暗殺の事件が核心に迫るとギャリソンは捜査の手を緩めるよう、引くように政府関係者などから迫られるようになり、家族も危ない目にあうようになります。
しかし、大佐をなのる人物の手助けによって暗殺事件がFBIやCIAも絡むクーデターであることを突き止めたギャリソンは、首謀者であるクレー・ショーを告訴することにします。
裁判でギャリソンはオズワルド一人では暗殺が不可能であり、複数犯であることを証明して正義を陪審員に向かって解きますが、その願いは届かず、クレー・ショーは無罪であることが決定してしまいます。
結局全ての真相が明らかになるには2039年の極秘文書公開まで待たなければならないというところで終わります。
みどころのポイント
見どころは何と言っても、今世紀の謎の一つで、度々ドキュメンタリーとして取り上げられることもあるケネディ大統領暗殺事件の真相について、実際に事件に関わりのあった人物複数の本を元に再現している点です。
ケネディ大統領も主人公であるギャリソンさんも実在の人物です。
ギャリソンさんは実際に検察官であり、1962年から1973年まで、ルイジアナ州から選出されたオーリンズ・パリッシュで地方検事を務めていました。
そしてこの実在のギャリソンさんは映画の中では本人役ではなくて、ウォーレン委員会の座長、最高裁判事のウォーレンさんを演じておられます。
ほんの少しですが出ておられるということです。
ドキュメンタリーなのですが、人が疑問に思うことをクローズアップして進んでいくため、ある程度ケネディ大統領暗殺事件を知っている人でも次はどうなるのか、どうしてこのような結果になったのか、と疑問と興味を引かれながら観ていくことが出来ます。
人の好奇心に上手くスポットライトを当てて進んでいきますので、最後まで飽きずに観ることが出来るでしょう。
暗殺者とされるオズワルドはなぜあんなに手際よく撃たれて亡くなったのでしょうか。
たまたま偶然とも考えられますが、偶然にしては出来過ぎ感があります。
そんな当然な疑問にもしっかり焦点が当てられています。
庶民だけでなく検事も疑問に感じた、と。
ヴェトナム戦争が終わってしまうと損をする人、戦争が続けば得するのに終わると利益が得られなくなってしまう人が怪しいというのも当然と言えば当然で、有耶無耶にして終わらせることが出来るのであればそうしたのではないかというのも納得出来る話ではあります。
結局、ギャリソンさんは謎を解明出来ないまま物語は終了しているとも考えられますし、概ねの真相は明らかになっているとも考えられます。
実際の暗殺関与者が本当の証言をしたとしても裏でどのような関係があったのかは誰にも分かりませんので、結局真相は観た人が決めるということでしょうか。
どのようなことについても言えることですが、表面的なことに目を向けていては裏でうごめく多数の繋がりは見えてこないということをこの映画を通じて表現しているようにも見えます。